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前橋地方裁判所 昭和42年(ワ)55号 判決

原告

木暮徳治郎

被告

下一雄

ほか一名

主文

一、被告らは、原告に対し、連帯して金一五六万五、九九四円およびそのうち金一五〇万円に対する昭和三九年一月一七日から、そのうち金六万五、九九四円に対する昭和四一年一二月一〇日から、それぞれ支払ずみまでいずれも年五分の割合による金員を支払え。

二、原告のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告らの連帯負担とする。

四、この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、原告

1  被告らは、原告に対し、連帯して金三三〇万円およびこれに対する昭和三九年一月一七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言

二、被告ら

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二、原告の請求原因

一、事故の発生

被告下一雄(以下「被告下」という。)は、昭和三九年一月一六日午前一〇時五〇分ころ、大型貨物自動車(群一い一一四一号、以下「被告車」という。)を運転して前橋市荒牧町五五三番地先道路を時速約五〇キロメートルの速度で南進中、右道路を同一方向に進行中の原告が運転する第二種原動機付自転車(赤城村第〇三五一号、以下「原告車」という。)を追い越そうとしたが、その際、自車の左側荷台付近を原告の右肩部に接触させて原告を転倒させ、よつて、原告に対し、入院治療二か月を要する頭蓋底骨骨折、顔面裂創、下顎骨骨折等の傷害および引き続き治療を要する後頭部外傷後遺症の傷害を与えた。

二、被告下の過失

ところで、右衝突事故(以下「本件事故」という。)は、被告下の過失に基くものである。すなわち、被告下は、前記のとおり原告車を追い越そうとしたのであるが、かかる場合自動車運転者としては、接触事故を防止するため、前方の原告の動静に注意したうえ徐行をし、かつ警音機を吹鳴する等してその側方を安全に通過すべき注意義務があるのにこれを怠り、前方を注視することもなく漫然前記速度のまま警音機も吹鳴せず原告車に接近した過失により本件事故を惹起せしめたものである。

三、被告利根貨物自動車株式会社の地位

被告利根貨物自動車株式会社(以下、「被告会社」という。)は、本件事故当時被告車を自己のため運行の用に供していたものである。すなわち、被告会社は、被告車を所有しこれを被用者である被告下に運転させて自己の貨物運搬業に従事させていた折、本件事故が発生したものである。

四、被告らの責任

したがつて、被告会社は、被告車の運行供用者として、自動車損害賠償保障法第三条本文の規定により、また、被告下は、直接の不法行為者として、民法第七〇九条の規定により、原告に対し、原告の受けた後記各損害を賠償すべき義務がある。

五、原告の受けた損害

(一)  治療費(後遺症の治療分) 合計金六万五、九九四円

原告は本件事故により、前記のとおりの後遺症が残りこれが治療費として、

1 群馬大学医学部附属病院に金三万四、六三六円

2 群馬県医師会沢渡温泉病院に金二万一、〇九一円

3 医療法人桜井病院に金一万二六七円

をそれぞれ支払い(合計金六万五、九九四円)、右と同額の損害を受けた。

(二)  慰藉料 金三二三万四、〇〇六円

原告は本件事故により昭和三九年一月一六日以来入院加療し、その後も通院、転地療養を重ね目下自宅において静養中であるが、頭部外傷後遺症により全治の見込もなく今後なお長期間の治療を要する診断を受けその精神的苦痛は多大なものがある。なお、原告は右後遺症により一切の労働能力を喪失し、家業である農業に従事することも不能となり農業収益にも多大の損害を受けたが、これが逸失利益の具体的算出が困難であるので、これらをも慰藉料算定に当つて考慮すべきを相当とし、以上を総合すると、原告の受くべき慰藉料は金三二三万四、〇〇六円をもつて相当とする。

六、結論

よつて、原告は、被告らに対し、連帯して前記五記載の(一)と(二)の合計金三三〇万円およびこれに対する本件不法行為の日の翌日である昭和三九年一月一七日より支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三、請求原因に対する被告らの答弁

一、請求原因第一項の事実のうち被告車が原告車を追い越そうとした際自車を原告に接触せしめて原告を転倒せしめた、との点は否認するがその余の事故発生の日時、場所、被告車の運転状況、原告の受傷の事実は認める。原告は、自ら被告車に接近してこれに突込んだため被告車と接触して転倒したに過ぎない。

二、請求原因第二項の事実は否認する。本件事故は、前記のとおり原告自らが被告車に接近してこれに突込んだため発生したものであつて被告下にはなんらの過失もない。

三、請求原因第三項の事実は認める。

四、請求原因第四項の主張は争う。

五、請求原因第五項の事実は知らない。

第四、被告らの抗弁

一、被告らの「示談契約成立」の抗弁

被告らと原告との間には、昭和三九年九月九日本件事故に関し、被告らが原告の治療費(附添婦の費用を含む。)合計金三六万一、一四七円を負担する旨の示談契約が締結され、これに基き被告らは原告に対して右金員を全部支払つた。したがつて、原告の被告らに対する損害賠償請求権は右示談契約の成立によりすでに消滅している。

二、被告会社の「免責事由」の抗弁

被告会社には、自動車損害賠償保障法第三条但書の規定による免責事由がある。すなわち

(一)  被告会社および被告下は被告車の運行について注意を怠らなかつた。すなわち、本件事故は前記のとおり原告自ら被告車に接近してこれに突込んだため被告車と接触して発生したものであつて、被告下は被告車の運行につき注意を怠らなかつたものであり、また同被告は大型自動車の運転免許を有する者であり、被告会社は被告下の就労に当つては交通法規に従つて運転するよう注意を与えこれを遵守させていたものであつて、被告会社に被告下に対する運転者としての選任監督上の注意義務懈怠はない。

(二)  本件事故は原告の過失によつて生じたものである。すなわち、原告は併進する被告車と十分な間隔をとつて走行しなければならないのに前記のとおり運転を誤まり自ら被告車に突込んでこれと接触して転倒したものである。

(三)  被告車には構造上の欠陥または機能の障害はなかつた。

第五、抗弁に対する原告の答弁

一、抗弁第一項(示談契約成立)の事実のうち、被告ら主張のとおりの示談契約が成立し、これに基いて被告ら主張のとおりの金員を原告が受け取つたことは認める。

二、抗弁第二項(免責事由)の事実はすべて否認する。

第六、原告の再抗弁

被告ら主張の示談契約に応ずる旨の原告の意思表示は錯誤により無効である。すなわち、原告はそのころ、治療も順調に進み症状も好転していたので近く傷害も全治に向うものと信じ、そのうえ折しも本件事故後八か月余り療養に専念し農業収入も激減して生活にも支障を来たしていたので、早期に賠償金を得るに如かずとして被告らと示談したものであるが、その後予想に反し、傷害の症状が固定して後遺症が進行し現在に至るまでも病状はいつこうに好転せず遂に医者もさじを投げる状態で就労能力をも全く喪失するに至つた。したがつて、前記示談契約に応ずる旨の原告の意思表示は、その重要な部分に右に述べたような錯誤があり無効である。

第七、再抗弁に対する被告らの答弁

再抗弁事実は否認する。

第八、証拠〔略〕

理由

一、被告下が、昭和三九年一月一六日午前一〇時五〇分ころ、被告車を運転して前橋市荒牧町五五三番地先道路を時速五〇キロメートルの速度で南進中、原告車と被告車が接触し、そのため原告が転倒してその主張のような損害を負つたことは当事者間に争いがない。

しかして、原告は右事故は被告下の過失に基くものである旨主張するので検討するに、〔証拠略〕を総合すると被告下は、前記日時ころ、被告車(幅二・二七五メートル、長さ七・三五五メートル、高さ三・三二〇メートル)を運転して、道路脇には住宅や店舗などが立ち並ぶ幅員約八メートルのアスファルト舗装道路である前記道路の左側を、時速約五〇キロメートルの速度で南進中、前方約五〇メートルに右道路左側の中央付近を同一方向に南進中の原告車(排気量五五CC)を発見し、ハンドルを右に切りこれを追い越そうとしたがその際原告車の前方約二〇メートル付近の道路左側に普通貨物自動車が停止していたのに、前記時速をなんら減ずることもなく、また警音機をも吹鳴せず、原告車を追い越そうとしたためこれに接近しすぎ、自車の荷台後部左側のチャンネル締め付け金具に原告車のバックミラーを接触させ、原告車はそのため運転の平衡を失い傾きながら約一〇・七メートル走行して転倒し、これにより原告がその主張のとおりの傷害を負つたことを認めることができる。被告下は、その本人尋問(第一、二回)において原告車を追い越す際、自車と原告車との間隔は一メートル或いはそれ以上あり自車を原告車に接触させる筈がない旨供述するが、右供述部分は〔証拠略〕に照らし、直ちに措信することができず、そのほか〔証拠略〕中、前記認定に反する部分は冒頭掲記の各証拠に照らし直ちに措信することができない。被告らは、原告は自ら被告車に接近してこれに突込んだため被告車と接触して転倒したに過ぎないと争うところ、なるほど〔証拠略〕によれば前記原告車のバックミラーが接触した被告車のチャンネル締め付け金具は被告車の車体のやや内側に取り付けてあることが認められるが、原告車の接触部分は右のとおりバックミラー部分であり、これは〔証拠略〕から窺われるように原告車の右ハンドルより外側に出ているものであるうえ、〔証拠略〕から認められる被告車の構造と本件が前記のとおり追い越しの際の接触事故であり、前記認定の衝突時の状況をあわせ考えると、このことのみをもつて、直ちに前記認定を左右することはできないものというべきである。

そして右事実によれば、被告下は、原告車を追い越すに際しては、前記の道路状況、原告車の位置、そして自車は前記のとおりの構造の大型貨物自動車であり、原告車は排気量五五CCの第二種原動機付自転車であることなどに思いを至し、しかも原告車の前方には前記認定のとおり普通貨物自動車が停車していたのであり原告車はこれを避けるため道路右側に進み出ることは容易に考えられることであるから、原告車を追い越す場合には、これとの接触事故を防止するため警音機を吹鳴して原告車に警告を与え、原告車の動静を注視しつつ十分減速しそれとの間隔を十分保持して追い越すべき義務があるのにもかかわらず、これらを怠つた過失により原告車に接近し過ぎてこれと衝突し本件事故を惹起せしめたものといわなければならない。

二、次に、被告会社は、被告車を所有し、これを被用者である被告下に運転させて自己の貨物運搬業に従事させていた折本件事故が発生したこと、したがつて、被告会社は被告車を自己のため運行の用に供していたものであることは当事者間に争いがない。

三、そこで進んで被告らの示談契約成立の抗弁について検討するに、被告ら主張の日に被告ら主張のような示談契約が成立し、これに基いて被告ら主張の金員を原告が受け取つたことは当事者間に争いがない。いうまでもなく、示談は裁判によることなく、当事者間で損害賠償責任の有無、その金額、支払方法などについて話合いで解決し事件を完結する合意であるから、前記争いのない原告と、被告らとの間の示談契約を前提とする以上、特段の事情のない限り原告は本訴において被告らに対し、本件事故に関する損害賠償請求権は行使しえないこととなる。

四、しかして、原告は右示談契約は錯誤により無効である旨主張するので検討する。〔証拠略〕を総合すると、原告は、本件事故以来顔面裂創、頭蓋底骨骨折、下顎骨骨折等の病名で群馬大学医学部附属病院に入院し一時危篤状態となつたが、その後軽快し右事故の二か月後である昭和三九年三月一六日同病院を退院して爾来同病院に通院していたが、病状は漸次好転し、前記示談の成立した同年九月ころにはテレビ等を見ると目が疲れたり、時として頭痛がしたり肩が凝るようなこともあつたが、その症状も格別重いというわけでもなく、特に前記病院よりは症状についての特別の具体的説明もなく、そのころ事故当時よりも体重もかなり増加し、家業の養蚕の手伝等もできるようになつたことから原告自身将来固定してしまうような後遺症が残るということには思いを至さず、前記のような頭痛等の症状も近い将来全治するものと考え、同年九月九日原告の姉の夫である訴外狩野重雄が原告の代理人となつて被告らの代理人である被告会社従業員訴外万代封美雄との間に前記のような程度の原告の症状、健康状態を前提としこれらの点について格別の争いもなく前記認定のような示談契約が締結されるに至つたこと、ところが原告の病状は予想に反しその後、いつこうに好転せず、群馬県医師温泉研究所附属沢渡病院(同年一〇月九日より一一月一一日まで入院)、渋川市内の桜井病院(通院)などで入院や通院をして治療を続けているうち、昭和四〇年三月に至つて容態が悪化し、再び前記群大病院で診察を受けたところそのころ始めて同病院より頭蓋底骨骨折の後遺症が残りこれについては日本は勿論外国にも治療法はなく、ただ気長に養生するほかはない旨説明を受け、自己に右後遺症が固定したことを知るに至つたこと、そして、その後右病院に通院していたが、同年五月一日には右後遺症のため激痛に襲われて歩行困難になるなどのこともあり、同病院のすすめもあつて再び同月二〇日より同年八月一六日まで前記沢渡病院に末梢循環障害、頭部外傷後遺症、一次性ショックの病名で入院したが、その間も病状好転せず、同年八月二日には意識不明となつて危篤状態となつたこともあり、その後同病院を退院した後も前記群大病院への通院、渋川市内の国立病院への入院(昭和四一年一一月より昭和四二年三月まで)などを続けたうえ、その後は赤城村診療所へ通院していたが、同診療所で二回にわたつて倒れるに至り昭和四三年四月ころより九月ころまで同診療所より往診を受けて自宅療養に専念し、その後同診療所のすすめもあつて再び右九月ころより同年一〇月一九日まで前記国立病院に入院し、同病院退院後は現在に至るまで前記群大病院に通院していること、その間前記後遺症状として原告は特に頭部の激痛、さらに耳鳴り、首筋から肩、背中にかけての凝りに悩まされ、また左半身にだるさを覚え、足部が重く感じられるうえ左足部がたえず冷いなどの症状が見え、味覚にも甘味が塩味に感じたり、から味を食べると疼痛を感じるなどの異常を来たし、そのうえ変形性脊椎症を併発して硬性コルセットの装着を余儀なくされ家業である農業に従事することは殆ど不可能であり今後これが後遺症状は完全治癒の見込はないことなどの事実を認めることができる。〔証拠略〕中右認定に反する部分は直ちに措信することができず、〔証拠略〕をもつてしても前掲各証拠に対比するとそれのみをもつていまだ前記認定を左右するに足りず、他に右認定を覆えすに足りる十分な証拠はない。

右事実によれば、前記示談契約は、原告と被告らの相互の代理人間で今後固定してしまうような前記認定のような後遺症はないものとの前提にたち、前記認定のとおりの示談契約成立当時の原告の症状、健康状態を基礎としその点について格別の争いもなく締結されたものであるところ、実際はこれに反し、その後原告の症状は著しく悪化し前記のような重大な後遺症が固定してしまうに至つたものであるから原告の代理人である前記訴外狩野重雄の意思表示にはその重要な部分に錯誤があつたものというべく、したがつて前記示談契約は法律行為の要素に錯誤があるものとして無効といわなければならない。そうすると原告の被告らに対する本件事故に関する損害賠償請求権は、前記示談契約の成立によつてはなんらの消長を来たさないことは明らかである。

五、そこで、被告会社の自動車損害賠償保障法第三条但書の規定による免責事由の抗弁について検討するに、被告車の運転者たる被告下に過失がありそれによつて本件事故が惹起されたことはすでに認定したとおりであるから、右免責事由の抗弁はその余の点を判断するまでもなく、採用することはできない。

そうだとすると、被告下はすでに認定したとおりその過失によつて本件事故を惹起せしめたものであるから、直接の不法行為者として民法第七〇九条により、被告会社は、被告車の運行供用者であることに争いのないこと、そして免責事由につき理由のないこと、前記のとおりであるから運行供用者として自動車損害賠償保障法第三条本文により、被告下と連帯して原告に対し、後記損害を賠償すべき責任があることに帰する。

六、進んで、原告が本件事故によつて受けた損害について検討する。

(一)  治療費

〔証拠略〕によると、原告は前記認定の後遺症の治療費として昭和四〇年一二月一六日前記桜井病院に金一万二六七円、昭和四一年一二月八日以前に、前記群大病院に金三万四、六三六円、同月九日前記沢渡病院に金二万一、〇九一円をそれぞれ支払い、合計金六万五、九九四円の損害を受けたことを認めることができ、他に右認定に反する証拠はない。

(二)  慰藉料

〔証拠略〕を総合すると、原告は本件事故当時四六才の健康な男性で家庭には当時妻、子供三人(長女二〇才、次女一七才、長男一三才)および両親があり、約二町歩の田畑を有して主として妻とともに農業を営み、米、麦、野菜を生産しそのほか養蚕、乳牛によつて生計を立てていたもので、その生活程度は中程度の農家であつたこと、ところが、原告は本件事故により前記示談契約後も前記四認定のとおり病院を転々として入院或いは通院を繰り返えし、その入院期間は延べ九か月にも及びその通院期間は約四年有余にも達すること、原告は、その後遺症によりその労働能力が著しく減退し前記認定の後遺症の程度はおよそ自動車損害賠償保障法施行令別表第六級二ないし三号に該当すること、原告はその後医療保護を受けることとなつた(前記治療費はその対像外である。)ものの前記長年にわたる入院、通院等に要する諸雑費の支出のため事故当時に比して生活に困窮を来たしていること、などの事実を認めることができ、右事実に前記四認定の原告の後遺症の症状をはじめとする一切の事実、前記認定にかかる本件事故の態様、被告下の過失の程度、前記認定のとおり前記示談は無効にせよ一応金三六万一、一四七円が被告らから原告に支払われている事実と本件記録に現われた一切の資料を総合すると、本件事故に関し、原告の受くべき精神的苦痛に対する慰藉料は金一五〇万円をもつて相当とする。したがつて、原告は、前記六(一)の治療費金六万五、九九四円および(二)の慰藉料金一五〇万円の合計金一五六万五、九九四円の損害を受けたものというべきである。

七、そうすると、原告の本訴請求は、被告らに対し連帯して右金一五六万五、九九四円およびそのうち、金一五〇万円、すなわち前記慰藉料については本件不法行為がなされた日の翌日である昭和三九年一月一七日から、そのうち金六万五、九九四円、すなわち財産上の損害である前記治療費についてはその損害全部が発生をした日(右損害のうち最も最後に発生したのは前記六(一)のうち前記沢渡病院に金二万一、〇九一円を支払つた昭和四一年一二月九日である。)の翌日である昭和四一年一二月一〇日から、それぞれ支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余は失当であるから、右限度で原告の請求を認容しその余の請求はこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条本文、第九三条第一項但書、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 松村利教)

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